「この塀、うちの土地に入っていませんか」
長年、何事もなく隣り合って暮らしてきた家同士が、たった一言をきっかけに、深刻な対立に陥ることがあります。
きっかけは、たいてい何かの節目です。相続で世代が変わったとき、家を建て替えるとき、あるいは土地を売却しようとしたとき。それまで誰も気にしていなかった一本の線が、突然、大きな意味を持ち始めます。
境界トラブルの厄介なところは、金銭的な損失以上に、隣人関係そのものを壊してしまう点にあります。裁判で決着がついたとしても、その後もそこで暮らし続けなければならないという現実は変わりません。
この記事では、境界トラブルがなぜ起きるのか、そして未然に防ぐために何ができるのかを整理します。
だからこそ、揉める前にできる備えを知っておこう。
「筆界」と「所有権界」という2つの境界
境界トラブルを理解する上で、まず押さえておきたい重要な区別があります。
一つは「筆界(ひっかい)」です。これは、土地が登記された際に定められた、公法上の境界線を指します。国が定めた区画の線であり、当事者同士の合意で自由に変更することはできません。
もう一つは「所有権界」です。これは、実際に誰がどこまでを所有しているかという、私法上の境界です。こちらは、当事者間の合意によって変更することが可能です。
本来、この二つは一致しているはずです。しかし現実には、長年の使用状況や、過去の曖昧な取り決めによって、両者がずれているケースが少なくありません。この「ずれ」こそが、トラブルの温床になります。
例えば、「登記上の境界はここだが、実際には昔から隣家がこの部分まで使っている」という状況です。当事者同士が納得している間は問題になりませんが、代が替わったり、土地を売却したりする段階で、この矛盾が一気に表面化します。
業界の裏側
古い住宅地では、境界標そのものが存在しない、あるいは何十年も前に置かれたきり確認されていない、というケースは珍しくありません。
当時は「だいたいこのあたり」という了解で済んでいたものが、代替わりや売却の場面で、初めて問題として浮上するのです。
よくある越境のパターン
実務でよく見られる越境には、いくつかの典型的なパターンがあります。
一つ目は、塀やフェンスの越境です。どちらの所有物なのかも含めて、曖昧なまま長年放置されているケースが多くあります。
二つ目は、樹木の枝や根の越境です。隣地から伸びてきた枝が敷地内に入り込み、落ち葉や日照の問題を引き起こすことがあります。
三つ目は、建物の一部やひさし、雨どいの越境です。建築当時の測量が不正確だったことなどが原因で生じます。
四つ目は、地中の配管の越境です。これは目に見えないため、掘削工事の際に初めて発覚することもあります。
これらの越境は、それ自体がただちに違法というわけではありません。長年にわたり隣人同士の了解のもとで存在してきたものも多く、実際には「越境があること」よりも「その状態が文書化されていないこと」のほうが、後々の問題を大きくします。
2023年民法改正で変わった枝の扱い
樹木の枝の越境については、2023年4月施行の改正民法によって、ルールが変更されました。
従来、越境してきた枝については、原則として隣地の所有者に切除を求めるしかなく、自分で切ることは認められていませんでした。根については自分で切ることができるという、やや不均衡な状態が続いていたのです。
改正後は、一定の条件のもとで、越境された側が自ら枝を切除できるようになりました。具体的には、隣地所有者に切除を催告しても相当期間内に対応がない場合、隣地所有者が不明な場合、急迫の事情がある場合などが挙げられます。
ただし、これはあくまで条件付きの権利です。何の連絡もなく勝手に切ってよいわけではない点には、注意が必要です。
営業マン視点
売却の相談を受けたとき、境界が未確定のままだと分かると、まずそこから着手することになります。
境界が確定していない土地は、買主にとって大きなリスクであり、価格にも影響します。
③のシリーズで扱った「安すぎる物件」の理由の一つが、この境界未確定であることも珍しくありません。
トラブルを未然に防ぐために
境界トラブルを防ぐ最も有効な方法は、問題が起きる前に境界を確定しておくことです。
具体的には、土地家屋調査士に依頼して測量を行い、隣地所有者の立会いのもとで境界を確認し、「境界確認書」を取り交わします。この書面があることで、後の世代に問題を持ち越さずに済みます。
また、越境が存在する場合には、「越境物の覚書」を交わしておく方法もあります。現状の越境を認めつつ、将来の建て替え時には解消する、といった取り決めを文書化しておくものです。
すでに紛争になってしまった場合には、法務局の「筆界特定制度」を利用する方法もあります。訴訟に比べて、費用と時間の負担を抑えられる可能性があります。
この制度は、筆界特定登記官が、専門家である筆界調査委員の意見を踏まえて、筆界の位置を特定するものです。あくまで筆界を明らかにする手続きであり、所有権の帰属そのものを決めるものではない点は理解しておく必要があります。
いずれの方法をとるにせよ、測量には数十万円規模の費用がかかることが一般的です。決して安い出費ではありませんが、境界が未確定なまま次の世代に引き継ぐことのリスクを考えれば、必要な投資だと言えるでしょう。
次はいよいよ、⑤シリーズの最終回。近隣トラブルが不動産価値に与える影響を見ていこう。
まとめ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 2つの境界 | 筆界(公法上・変更不可)と所有権界(私法上・合意で変更可) |
| 越境のパターン | 塀・フェンス、樹木の枝と根、建物やひさし、地中の配管 |
| 2023年民法改正 | 一定条件下で越境された側が枝を切除できるように |
| 予防策 | 測量と境界確認書、越境物の覚書、筆界特定制度 |
関連記事|トラブルの現場を掘り下げる
この話には、まだ続きがあります。
絶望不動産|土地神話・情報格差・制度の遅れが生んだ闇
境界トラブルだけではありません。
不動産の世界には、同じ構造から生まれる“見えないリスク”がいくつも存在します。
土地神話、情報格差、そして制度の遅れ──。
実際に起きた事件をもとに、その正体を体系的にまとめています。
宅建士資格保有・不動産業界歴10年以上の現役実務者が監修・運営しています。
売買・法律・税金・開業まで、現場の実務経験をもとに情報を発信しています。

コメント