積水ハウスの担当者の中には、取引の初期段階から違和感を口にしていた者がいたと言われている。
しかしその声は、55億円が振り込まれるまで、取引を止める力を持たなかった。
これは積水ハウスに限った話ではない。
大企業の不祥事の多くに共通するのは、「気づいていた人間が、社内のどこかに必ずいた」という事実だ。
問題は、その違和感がなぜ組織の中で握りつぶされてしまうのか、という点にある。
個人の問題じゃなくて、組織の仕組みの問題ってこと。
「決定に逆らいにくい文化」の正体
大きな案件になるほど、その取引には多くの人と時間が投じられている。
複数回の会議、複数部署の承認、経営層への報告──ここまで積み上げたプロセスを、一人の担当者の「なんとなく怪しい」という感覚だけでひっくり返すのは、想像以上に難しい。
心理学ではこれを「サンクコスト効果」と呼ぶ。すでに投じた時間や労力が大きいほど、人はその投資を無駄にしたくないという心理から、途中で立ち止まる決断をしづらくなる。
加えて、日本企業に多い稟議制度は、この傾向をさらに強める構造を持っている。
稟議は、複数の担当者や上長の押印を経て決裁される仕組みだ。
一見すると、複数人がチェックする分だけ安全に見える。しかし実際には、「前の人が押印しているのだから問題ないはずだ」という心理が働きやすく、一人ひとりの検証責任がかえって薄まってしまうことがある。
誰もが「自分が最終防衛ラインだ」と思っていない組織は、実は誰も本気でチェックしていない組織と変わらない。
業界の裏側
不動産業界に限らず、大型案件ほど「これだけ調べたのだから今さら止められない」という空気が生まれやすい。
現場感覚では、契約直前になってからの違和感ほど言い出しにくいものはない。
本来は、金額が大きい案件ほど「言い出しやすい仕組み」を意図的に作っておく必要がある。
「異常の正常化」という現象
組織論の分野には「異常の正常化(Normalization of Deviance)」という考え方がある。
これは、本来なら問題視されるべき小さな逸脱が、一度許容されると、次第に「普通のこと」として扱われるようになっていく現象を指す。
アメリカのスペースシャトル事故の分析で有名になった概念だが、企業の不正にも同じ構造が見られる。
「今回だけは急ぎだから、通常の確認プロセスを一部省略しよう」
この一度の例外が、次第に「この程度の確認省略なら問題ない」という暗黙の基準に変わっていく。
不動産取引の現場でも、「大口顧客だから」「急いでいる案件だから」という理由で、本来の確認プロセスが簡略化されることがある。
一度それが許容されると、次の案件でも同じ理由で簡略化が繰り返される。地面師は、こうした組織の緩みを見逃さない。
「言い出しにくさ」を減らす仕組み
組織が詐欺やミスを止められるかどうかは、個人の倫理観だけの問題ではない。
「違和感を口にしても不利益を被らない」という安心感が、組織の中にどれだけ制度として存在するかにかかっている。
有効とされる仕組みはいくつかある。
一つは、匿名で懸念を報告できる窓口の設置だ。上長を通さずに直接、懸念を伝えられるルートがあるだけで、心理的なハードルは大きく下がる。
二つ目は、「一時停止」を誰でも宣言できる権限の明確化だ。役職に関係なく、疑義がある場合は取引を一時的に止められるというルールを、あらかじめ制度として定めておく。
三つ目は、確認プロセスを省略した場合の記録を必ず残すルールだ。「なぜ省略したのか」を記録に残す仕組みがあるだけで、安易な省略に対する抑止力になる。
営業マン視点
個人の不動産取引でも、実はこの発想は応用できる。
家族や配偶者に「一度立ち止まって聞いてもらう」という役割をあらかじめお願いしておくだけで、一人で突っ走ってしまう判断を防げることがある。
大きな買い物ほど、自分一人の判断だけで完結させないことが大切だ。
この記事の教訓
詐欺を止められなかった組織を、単に「愚かだった」と切り捨てるのは簡単だ。
しかし、サンクコスト効果や異常の正常化は、真面目で優秀な人間が集まった組織でも起こりうる現象だ。
大きな買い物や契約に関わるとき、「ここまで来たのだから今さら止められない」という感覚が芽生えたら、それこそが立ち止まるべきサインだと考えてほしい。
次は、地面師が実際にどんな土地を狙っているのか、具体的に見ていこう。
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実際に起きた事件をもとに、その正体を体系的にまとめている。
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